ヨガセラピスト基礎コース:レポート①【ヨガを肯定的に定義する7種類について】
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このブログの著者であるYUKOは2021年にこのコースを受け、
インド中央政府公認ヨガ講師(SVYASA認定)の資格を頂きました。
SVYASA
Swami Vivekananda Yoga Anusandhana Samththana
スワミヴィヴェーカナンダヨガアヌサンダーナサムスターナ
スワミヴィヴェーカナンダヨガ大学院大学
YUKOプロフィールは→こちら
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◾️ヨガセラピー(ヨガ療法)とは
心の質を見立ててから上質な心を育てる技法、とされています。
ヨガセラピーは常に自分を客観視し、
上手に自制が出来る方法が身に付く技法です。
◾️ヨガセラピスト養成基礎コース(YIC)
ヨガセラピーは通常クライアントさんに対して行う技法ですが、
基礎コースではまず自分自身の心の質を客観視し、
自制が出来るよう促していきます。
◾️養成基礎コースレポート
全10回の講座全てでレポートを提出します。
ヨガや哲学に興味のある方には違った視点からアプローチする
面白い内容だと思いますので、
少しずつレポートを共有していこうと思います。
よろしくお願いいたします😊
ヨガセラピスト養成基礎コースの詳しい内容は→こちら
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<第1回目講義:課題A>
ヨガを定義する上で、
「肯定的に定義する7種類」と、
「否定的に定義する6種類」をそれぞれ詳しく説明する。
また、自分がこれまで考えてきた「ヨガとは何か?」も説明する。
肯定的に定義する7種類について→レポート①
否定的に定義する6種類について→レポート②を読む
自分が考える「ヨガとは?」→個人的考察のため省略
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【ヨガを肯定的に定義する7種類】
1:ヨガは統合と結合を意味する言葉である→⭕️
YOGAとはサンスクリット語のYuj(ユジュ、ユジ)が語源であり、「結びつける、結合する」の意味である。
意識を何かとつなげて結びつけ結合する作業、それがヨガである。
意識が「何と結びつくか」により以下のようになり得る。
「意識」+「何か」
野人(ANIMAL)→常人(NORMAL)→偉人(GREAT)→超人(SUPER)→神人(DIVINE)→神様(PERFECTION)
同一人物でも「意識が何と結びつくか」で自分の思いが全く変わったものになるのである。
「人と神意識との結合」という最終的な結びつきを実現させてくれるのがヨガ技法だといえる。
スポーツ選手や芸術家が望む「神がかり的な」プレイやパフォーマンス、
これは「人の意識が高度な意識と結びつく」ことで発現すると考えられる。
スポーツ選手で例えると、肉体はすでに鍛錬を積んでいるので肉体との結びつきではない。
内側の精神性との結びつき「意識が命の根源に結びついている」ことがいざという時の力の発揮につながり、
「神がかり的な」プレイやパフォーマンスとなって発現されるのである。
伝統的ヨガとは「人間の意識と神様の意識を統合させる」古来の技法なのである。
その意味が発展して「小さな我を大きな我へと結ぶ・進化させる」技法ともいわれる様になった。
2:ヨガとは心の働きを制御することである→⭕️
パタンジャリ大師による「聖典ヨガ・スートラ」(紀元前300年頃)
第1章2節にはヨガ最大の目的が示されている。
「ヨーガスチッタヴリッティニローダハ」(心の作用を停止する、心の動きを制御する)
「聖典ヨガ・スートラ」を解説したヴィヤーサ大師はその解説書「ヴィヤーサ・ヴァーシュヤ」の中で、
人間の心を以下の5つの状態に分類している。
❶混乱した思考状態(クシプタ)
思い通りにいかないことを前に、焦る・動揺・何をしているかわからなくなる。
❷無我夢中の状態(ムーダ)
スマホやゲームなどに夢中な状態。
❸誤選して混乱した状態(ヴィクシプタ)
間違えたり、何か失くしたりするとすぐに混乱し気が散乱する。
❹ゆったりして静かな専心状態(エーカグラ)
自分の心を静かに観察でき、「今」に意識を向けられている状態。
❺思考作用の停止した止滅状態(ニルッダ)
「今」の心の状態を認識し、自分自身で心の反応や心の波を完全にコントロールしている状態。
一般的な人は❶〜❸を繰り返し、混乱したままの精神状態で生活しており、
それが原因で正しい判断や選択ができず結果的に心身に悪い影響が出てくる。
❹と❺はヨガにより心に集中でき、心が混乱することなくコントロールができている状態とされる。
古ウパニシャッド聖典の一つ「カタ・ウパニシャッド」(紀元前2千年頃)では、
人間の構造論として「人間馬車説」という考え方が記述されている。
心の動きを自己制御するためのシステムが「10頭立ての馬車」を例に挙げて解説されている。
これを上記の5つの心の状態と照らし合わせて説明していく。
馬(10頭) |
5つの知覚器官 5つの運動器官 |
知覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚) 運動器官(手/授受器官・足/移動器官・発語器官・排泄器官・生殖器官) |
手綱 | 意思(マナス) | 10頭の馬が自由奔放に走り出さないために統制を取るのが手綱。御者である 理智(ブッディ)が正しい判断で思考(マナス)を制御できると、馬は統制がとれた状態になる。 |
御者 | 理智(ブッディ) | 手綱を持ち、馬車をコントロールするのが御者の役目。物事の真実を見極め、正しい判断を下すことが重要。 |
馬車(車体) | 身体(シャリーラ) | 主人が乗るための車体は身体と例えられる。車体を常に清潔に保つと、とても快適で居心地の良い馬車(身体)になる。 |
主人 (馬車の中) |
真我 (アートマン、命の源) |
変わらないもの、不変のもの。主人は馬車を操作できず、馬に指示も出せない。ただ存在しているだけ、見ているだけだがこの部分が無いと、主人のいない馬車になり馬車自体が不要なものになってしまう。 |
主人と御者の間 (仕切り) |
心素(チッタ)
|
すべての記憶を蓄える、トラウマも含む潜在意識の「記憶の袋」。 我執ともいわれ、「自分が〜/自分の〜」という意識を作り、くっつけて執着を生む部分。 |
進む道 |
諸感覚器官の対象 |
嫉妬や誘惑などの外的な対象物に翻弄されると、諸感覚器官である馬が統制から外れ動き回ってしまう。統制の取れていない馬は馬車を間違った方向へと向かわせる。御者は正しく手綱を制御し、馬をコントロールすることで、正しい目的地へと馬車を向かわせる。 |
❶〜❸:馬は10頭の諸感覚器官とされ、この働きが乱れていると馬が暴れている状態、制御できていない状態。
❹:御者である知性と感性の判断を下す理智(ブッディ)がうまく思考(マナス)である手綱を操っている。
馬たちと御者との間で情報の受け渡しがうまくでき、馬車も制御できて安定している状態。
❺:馬車には主人である真我(アートマン、命の源)がいる。
主人と御者の間には仕切りとして心素(チッタ)と我執(アハンカーラ)と呼ばれる2つの心理器官がある。
心素はすべての記憶を蓄える「記憶の袋」。
この「記憶の袋」による心理作用に惑わされることなく、
「記憶の認知」が行われると「心素(=チッタ)」の動きが止まる。
馬が完全に止まり、車体も全て止まった、全ての感覚器官が止まった状態。
心の働きを制御している状態といえる。
「聖典カタ・ウパニシャッド」でも
「斯くの如く諸感覚器官の働きをしっかりと制御することが、ヨガである」
と記されている。
3:ヨガとは心の作用を平静にしてゆくことである→⭕️
聖仙ヴァールミーキー大師が記したとされる「聖典ヨガ・ヴァシシュタ」では、
「ヨガとは意思(人間馬車説での手綱)の働きを鎮める巧みなやり方である」とされている。
その具体的な技法として、瞑想・祈り・真言誦唱・聖歌斉唱などがある。
また、人間の行動に関する「カルマ・ヨガ」の智慧である聖典「バガヴァッド・ギーター」(紀元元年前後)にもヨガ修行とは「知性・感性の動きを行う内的心理器官の1つである理智(ブッディ、人間馬車説でいう御者)の働きを平静にさせること」だとされている。
4:ヨガとは肉体(知性と感性に二分)と意識との調和状態を作ることである→⭕️
伝統的ヨガの技法として、アーサナによるアプローチでも心身の調和状態が作れる、
意識して行う呼吸法でも心身の調和状態が作れる、といわれている。
日本のことわざでいう「人間万事塞翁が馬」の意味と同じく、
全てのことは天が決めることであり、良いも悪いもない、自分の都合で物事を良い悪いで判断しない。
結果への執着を捨て行為を行うと心身調和状態が得られるとしている。
5:ヨガとは上手な行為の仕方である→⭕️
「聖典バガヴァッド・ギーター」には「ヨガとは行為を為すための技量なのである」(2−50)
と記されている。
「何をするか」が重要ではなく「どのように行為しているか」が重要だと説いている。
ここでいわれる技量とは、
「行為の際にリラックスしつつ必ずその行為を意識しておくこと」と理解できる。
こうしたアクションの仕方は、スポーツ分野や芸術分野やあらゆる分野において必要だと感じる。
6:ヨガとは人間の進化を自然に加速させる方法である→⭕️
ヨガとは人間の意識のあり方によって、如何様にも進化できる意識革命の技法である。
1 で解説した通り、人間の意識が「何と結びつくか」で人間存在を動物の次元から神人、
神様の次元へと変革させてしまうのである。
7:ヨガとは人格の各種の次元(肉体・生気・感覚、理性/感性、霊性/宗教性)の統合と意味する→⭕️
インド独立運動の革命家・神秘家であるシュリ・オーロビンド・ゴーシュ(1872〜1950)は、
「ヨガとは人の存在を肉体的、情動的、知的、霊的、という総合的に成長せしめる手段である」としている。
その人物の仮面(ペルソナ)と真の人格が調和したとき、
個人の中に潜む可能性が引き出されるということである。